金太郎独擅場
東北本線から津軽線は北海道連絡となる北の大動脈。9時間あまりで撮影した貨物列車は14本と首都圏と変わらぬ頻度で貨物列車がやって来た感じです。
14本中、ED79が2本、残りが全てEH500でした。ED75とED79の置換用として登場した訳ですから当たり前といえば当たり前なんですが、全てEH500というのもチョッと寂しいですね。
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14本中、ED79が2本、残りが全てEH500でした。ED75とED79の置換用として登場した訳ですから当たり前といえば当たり前なんですが、全てEH500というのもチョッと寂しいですね。
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コメント (0)ED75からの改造や新製から20年以上たったED79を撮ることも今回の青森遠征の目的でした。
国鉄の交流電気機関車は電化の進捗に合わせて線区毎に新形式が誕生してきました。その末っ子が国鉄最後の年に誕生した青函トンネル用のED79です。貨物列車は種車のED75と共通の後継機であるEH500が増えてきていますし、旅客列車も客車列車が少なくなってきていますので、このあたりで撮っておかないと思ったものです。
「はまなす」やキハ183系の団臨に貨物と予定していたものは撮ったんですが、遅れの「北斗星」を撮り逃したのが心残りです。まっ、仕方ないですね。
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コメント (0)この時期限定の夜行急行「はまなす」の走行写真を撮りに青森まで行ってきました。
国鉄時代には全国各地で走っていた夜行急行も今ではこの「はまなす」と「きたぐに」だけになってしまいました。さらに客車列車となるとこの「はまなす」だけです。
また青森といえば、誰かの歌にもあるように常磐線経由の「十和田」、東北本線経由の「八甲田」、奥羽本線経由の「津軽」と上野発の夜行急行が次々と到着し、どの列車も10系寝台にスロ62とスハ43系、いかにも夜行急行というような編成で客車を降りた人達は皆足早に連絡船に向かっていきました。そんな青森に到着する夜行急行は上野発ではなく札幌発の「はまなす」だけとなり、もちろん連絡船もありません。
まさに「昭和は遠くなりにけり」ですね。
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