東海道ブルトレ廃止
本日(14日)のダイヤ改正での「富士 はやぶさ」の廃止をもって、東海道ブルトレが消滅しました。
『いずれこのような時が来るだろう。』と思っていましたが、『よくここまで残ったものだ。』というのが◇敏郎◇の率直な感想です。
「時代がブルトレを必要としなくなった。」ということもあるのでしょうが、国鉄が民営分割されて20年以上が経過し、JR各社が微妙な関係のなかで、それぞれの事情でそれぞれの道を歩むようになった昨今では東海道ブルトレのような数社を跨いでの旅客列車の運行は難しくなってきたのかもしれません。
◇敏郎◇の東海道ブルトレといえば、やっぱりEF65Pに20系。昭和53年(1978年)1月にナロネ22が組み込まれた「デラックスあさかぜ」が24系25形化され、同じ年の7月にはEF65PのEF65PFへの置換えが始まりました。この時を持って◇敏郎◇の東海道ブルトレは終わっています。何故かEF65PF牽引のブルトレには興味が湧きませんでした。新製機のEF65PFより旧型電機等、他にやるべきことが他にたくさんあったんですねぇ〜。
当時、大学にはカメラを持って出掛け、臨時列車の予定が書かれた東京駅ホーム運転事務室の黒板をチェックした後、東海道線で東京機関区と品川客車区、田町電車区の様子を確認するのが日課でした。台検の代替機で下関区のEF65Pでもいれば、授業をサボってでも撮りに出掛けました。予定臨を含めたダイヤもだいたい頭に入っていましたから、何かあれば直ぐに対応できる状態でした。その記憶では1列車は「さくら」、「はやぶさ」は3列車、「富士」は7列車です。
◇敏郎◇も1度だけ東海道ブルトレに乗っています。昭和57年(1982年)12月31日の8列車「富士」のオロネ25に宮崎から東京まで。新年の挨拶の放送や食堂車でのお雑煮とブルトレでの年越しはいい想いでです。
いろいろ書きましたが、あれだけ機関車と客車が屯していた東京機関区と品川客車区はすでになく、その跡は見る影もありません。30年という歳月は遺憾ともし難いですねぇ〜。
Tag: 東海道本線
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